年収が約120万円下がった日。家族への責任と、自分の価値がわからなくなった話
年収が約600万円から、480万円になった。
正確には、以前は年収約600万円。その後、同じ会社に在籍していた期間に月収40万円となり、12か月で計算すると年収換算480万円になった。
年間で約120万円の差だ。
数字だけを見ると、収入が減ったという話かもしれない。
でも、当時の私にとって、それは単なる数字の変化ではなかった。
結婚して、子どもがいて、毎月の生活がある。
自分ひとりなら、生活を切り詰めたり、別の働き方を探したり、何とかなると思えたかもしれない。
けれど、家族がいると話は違ってくる。
今までと同じ生活を続けられるだろうか。
子どもたちに我慢をさせることにならないだろうか。
この先、もっと収入が下がったらどうしよう。
そうした不安が、頭から離れなかった。
年収が下がるということは、銀行口座に入ってくる金額が変わるだけではない。
少なくとも当時の私にとっては、家族に対する責任を、改めて突きつけられる出来事だった。
年収600万円という数字が、自分の自信になっていた
私は約10年間、管理職として働いてきた。
採用活動にも長く携わり、200名以上の面接を担当し、1,000名以上の書類選考を経験している。
現場で働く人たちと向き合い、数字を追い、日々の業務を進めてきた。
うまくいったことばかりではない。
失敗したことも、思うように結果を出せなかったこともある。
それでも、長く続けてきた仕事には、それなりの経験と積み重ねがあると思っていた。
そして、年収約600万円という数字も、どこかで自分の自信になっていた。
高収入だと自慢したかったわけではない。
ただ、これまでやってきた仕事に対して、会社から一定の評価を受けている。その証明のように感じていたのだと思う。
だからこそ、収入が下がったとき、単純にお金の問題だけでは済まなかった。
「自分の仕事には、以前ほどの価値がないのだろうか」
そんな考えが浮かんだ。
もちろん、会社の給与は個人の能力だけで決まるものではない。
会社の業績や給与制度、役割、評価基準など、さまざまな事情が関係する。
頭ではわかっていても、当時の私は、給与の変化を自分自身の評価と結びつけてしまっていた。
ずっと心に残っていた、上司の一言
年収が下がるよりも、ずっと前のことだった。
当時、上司から言われた言葉がある。
「何もしてないね」
その一言は、今でも忘れられない。
自分なりに仕事に向き合っていたつもりだったからこそ、非常につらかった。
それまで積み重ねてきた仕事を、すべて否定されたような気持ちになった。
もちろん、この発言が後の減収につながったと考えているわけではない。
時期も異なるし、給与が変わった理由を、この一言だけで説明することはできない。
ただ、収入が下がり、自分の仕事の価値について考えるようになったとき、以前に言われたあの言葉を思い出すことがあった。
そして今は、当時とは少し違う受け止め方をしている。
自分なりに頑張っていたことと、期待される成果を十分に生み出せていたことは、必ずしも同じではなかったのかもしれない。
あの言葉が正しかったと断定したいわけでも、誰かを責めたいわけでもない。
ただ、自分自身の働き方を振り返るきっかけの一つにはなっている。
頑張っていることと、価値を生み出していることは同じではない
当時の私は、自分なりに頑張っていると思っていた。
仕事に時間を使っていたし、考えることも多かった。管理職として判断する場面もあった。
でも、今振り返ると、少し違う問いを持つ必要があったのかもしれない。
「どれだけ仕事をしたか」ではなく、
「その仕事によって、何が良くなったのか」
という問いだ。
自分が動いたことで、現場の負担は減っただろうか。
スタッフが成長できる環境をつくれただろうか。
お客様にとって、より良いサービスにつながっただろうか。
会社の成果に対して、どれだけ具体的な貢献ができただろうか。
もちろん、管理職の仕事には、数字に表れにくいものも多い。
相談に乗ること。問題が大きくなる前に対処すること。スタッフが安心して働ける状態を整えること。
こうした仕事を、単純に売上だけで評価するべきだとは思わない。
それでも、自分の役割や貢献を説明できる状態にしておくことは必要だった。
当時の私は、そこが十分ではなかったのだと思う。
年収に見合う価値を提供できていたのか。
今の私が、過去の自分に問いかけるなら、そう聞くと思う。
ただし、これは「収入が下がった人は、それだけの価値しかない」という意味では決してない。
給与と人間としての価値は、まったく別のものだ。
私自身の仕事への向き合い方を振り返ったときに、そういう課題が見えてきたという話である。
管理職としての経験は、外の世界でも通用するのか
収入が下がったことで、もう一つ考えるようになったことがある。
自分の経験は、会社の外でどれだけ通用するのだろうか。
同じ会社で長く働いていると、その会社の仕組みや考え方に詳しくなる。
社内で誰に相談すれば物事が進むのか。
どの数字を重視すればいいのか。
どのように部下へ伝えれば動いてもらえるのか。
こうした知識や経験は、日々の仕事で大きな力になる。
けれど、それを別の会社でも再現できるかどうかは、また別の問題だ。
例えば「管理職を10年経験しました」と伝えるだけでは、その経験の中身は十分に伝わらない。
何人のチームを担当したのか。
どのような課題があったのか。
何を改善したのか。
その結果、どのような変化が生まれたのか。
こうした具体的な説明があって、初めて相手は経験の価値を判断しやすくなる。
私は採用担当として、多くの応募書類を見てきた。
それなのに、自分自身のキャリアについては、同じように整理できていなかった部分があった。
今考えると、少し皮肉な話だ。
人の経歴を見る経験があっても、自分の経歴を客観的に見ることは、思っていた以上に難しかった。
家族への責任は、簡単に割り切れるものではなかった
年収が下がったとき、一番に考えたのは家族のことだった。
自分の市場価値や仕事の評価も気になった。
けれど、それ以上に、毎日の生活をどう守っていくのかという問題が大きかった。
仕事で何かを失敗しても、自分ひとりのことであれば、時間をかけて立て直せばいいと思えるかもしれない。
でも、家族の生活は、自分の気持ちが整理できるまで待ってくれるわけではない。
毎月の支払いがあり、日々の食事があり、子どもたちの生活がある。
将来のために備えたいお金もある。
そんな当たり前のことが、収入が減ったときには、急に大きな重みを持って感じられた。
同時に、家族を守ることと、高い年収を維持することを、私はどこかで同じ意味にしていたのかもしれない。
もちろん、収入は大切だ。
生活にはお金が必要だし、収入が下がれば選べることが減る場合もある。
だから「お金より大切なものがある」と簡単に片づけたくはない。
ただ、年収が下がったことだけで、自分が家族に対して何もできていないと決めつける必要もなかったのだと思う。
不安を感じながらも、現実を見て、次に何をするか考えること。
その姿勢も、家族に対する責任の一つだったのではないだろうか。
年収が下がったことを、失敗だけで終わらせたくない
年収が約600万円から480万円になった。
その事実は変わらない。
減ったお金が、後から戻ってくるわけでもない。
当時の苦しさが、今になってなかったことになるわけでもない。
そして、あのときの自分に、十分な働きができていなかった部分があったことも、今は受け止めている。
それでも、この経験を単なる失敗として終わらせたくはない。
給与が下がったことで、私は自分の仕事を別の角度から見るようになった。
会社から与えられた役職ではなく、自分が何を提供できるのか。
長く働いた年数ではなく、どのような問題を解決できるのか。
自分が頑張ったという感覚ではなく、相手にどのような変化を生み出せるのか。
そうしたことを、以前より意識するようになった。
今でも、すべてに答えが出ているわけではない。
仕事の価値を正しく測ることは簡単ではないし、収入と貢献がいつも一致するとも限らない。
それでも、少なくとも以前よりは、自分自身に問いかけるようになった。
「今、自分は何の役に立てているだろうか」
その問いを持てるようになったことは、私にとって一つの変化だった。
もし今、年収が下がって苦しんでいる人がいたら
ここまで、自分の経験を振り返ってきた。
けれど、今まさに収入が下がり、生活に不安を感じている人に対して、「これも成長の機会です」と簡単に言うつもりはない。
そんな言葉では解決しない問題があることを、私自身が感じてきたからだ。
家計が苦しいなら、まず生活を守ることを考えていい。
転職活動で思うように評価されないなら、自分の経験を整理し直してもいい。
そして、仕事で厳しい言葉を受けたとしても、その一言だけで、自分のすべてを決めなくていい。
私も、年収が下がったとき、自分の価値まで下がったように感じた。
でも今は、少し違う。
年収は、その時点での仕事や役割に対して支払われる金額であって、人間としての価値を示す数字ではない。
だからこそ、数字から目を背けず、同時に数字だけで自分を判断しない。
その両方が必要なのだと思う。
約120万円の減収は、私にとって決して小さな出来事ではなかった。
家族のことを考えて不安になり、自分の市場価値に自信をなくし、管理職としての働き方を見つめ直すことになった。
今でも、あの頃の気持ちを完全に忘れたわけではない。
ただ、以前とは一つだけ違う。
年収という数字だけではなく、自分がこれからどんな価値を生み出せるのかを考えるようになった。
あの日の減収を、いつか意味のある転機だったと思えるように。
今も、その途中にいる。
本文の体験談は筆者個人の経験です。年収や働き方の変化は人や会社によって異なります。